Story藝術喫茶清水温泉Tadotsu, Kagawa
屋根が崩れ、壁が朽ちても
遺されたのには、意味がある。
江戸時代より金毘羅参詣の玄関口や北前船の寄港地として大いに賑わった、香川県多度津町。明治時代、商家街だった本通地区には、当時の面影をとどめる建造物が残されながらも、その多くは老朽化が進み、倒壊の時を待っていた。大正末期に創業し平成初期に廃業した元銭湯「日の出湯 清水温泉」も、その中の一つだった。
私たちが清水温泉に出会ったのは、多度津町でまちおこし議論が本格化した2017年のこと。煙突は壊れ、レンガ屋根は崩れ、営業時の活気は感じられなかった。経済合理性を追求するのであれば、清水温泉は早急に取り壊し、新興住宅地にでもすべきだろう。しかしこの町は、清水温泉とこの街並みを残してきた。「壊すには忍びない」。清水温泉は、地域住民の誇りと未来への隠れた期待の表れなのだと思った。
眠らされた地域資源を、
いかに目覚めさせるか。
中に入ると、埃や老朽化こそ見られるものの、番台やタイル貼りの湯船がそのまま残っていた。当時の面影を感じると同時に、この場所が再び蘇り、かつての賑わいと趣を取り戻した姿が、私たちの頭に浮かんだ。アートカフェにリニューアルされた空間で、湯船を活用した席で喫茶を楽しむ人々。全国から訪れたお客様が本通地区周辺を散策し、伝統文化を体感する姿。そんな光景がはっきりと浮かんだ。
代表の日高は、奈良県の出身である。多度津町はもともと無縁の地だったが、偶然出会った清水温泉の再生に、全力を注ぐ決意をする。その理由は、多度津町だけでなく、日本各地にある同様の地方が衰退する姿を目の当たりにし、未来への不安を感じていたからである。地方が衰退することは、離れて住む都市部の家族や大切な人たちにも影響を及ぼすのではないか。子どもたちは日本の未来に希望を持てるのだろうか。抱えていた課題感と多度津町の現状がリンクした。
長年空き家化している建屋の活用には、想像以上の修繕費がかかる。国等の大きな補助金の後押しがなければ、朽ち果てるのを待つか、自ら解体するかを選ぶのが現状だ。高齢化の進んだ多度津町では、現実を理解しながらも、手も足も出せず年月が過ぎていた。この町のように、歴史と文化を持ちながらも衰退していく地方の町は、日本中に多数ある。それらを救うためにも、成功事例を作りたかった。
この清水温泉の空き家を利活用し、日本一の魅力を持つ観光複合施設として、多度津の町に賑わいを取り戻す。そんなビジョンを描き、廃業銭湯をリノベーションしたアートカフェ「藝術喫茶 清水温泉」をオープンした。2018年5月のことだった。
加速度的な変化と困難。
とにかく無心で走り続けた。
画家・ヒダカナオトによるアートワークで彩られた壁面。湯船席では風呂桶に入った食事やドリンクを楽しめる。オリジナルのグッズや当時の趣を残した店内で写真を撮るのも楽しみの一つ。試行錯誤を繰り返しながら藝術喫茶 清水温泉を営業し、少しずつお客様も増えてきたころ、私たちを次々と困難が襲う。新型コロナウイルスの流行と、敷地内家屋の老朽化だった。
外出自粛でお客様が減っていく中、清水温泉敷地内の家屋の老朽化が深刻化。崖っぷちの状態の中、古民家改修の専門家の方々などへ相談した結果、この家屋部分を改修し、ゲストハウスを併設することにした。
観光拠点として発展していくには、食事・体験・お土産、そして宿は必須事業である。本通地区には宿泊施設がなく、もし観光に訪れたとしても、まる1日おもてなしできる状態になかった。ここにゲストハウスができることで、お客様にゆっくりと滞在いただける町にできると思った。
とはいえ、時はコロナ禍。カフェを開いたかと思えば、次はゲストハウスかと、周囲の方々からは怪訝な目を向けられることもあった。それでも、立ち止まっている暇はなかった。一刻を争う町の現状を現場で目の当たりにしている私たちは、クラウドファンディングを使って、全国に向けてこの状況を発信することにした。現状とビジョンを言葉にし、すがる思いで支援を求めた。結果、全国から合計300万円超のご支援をいただくことができた。
応援コメントの一つひとつが、これまで無心で走ってきた私たちの心に染みた。想いに賛同くださった全国の方や、開店初期に訪れてくださったお客様、中には、故郷を離れた多度津町の出身者からの支援もあった。「故郷のまちづくりに尽力してくれて嬉しい」。自分たちのやっていることが、間違いではないと確信できた。2023年4月、一棟貸切宿「空と家」を開業。「もう一度、瀬戸内の青い空の下で新しい風の育みが生まれるように」と願いを込めて名付けた。
“延命”ではなく、
次世代へつなげる仕組みをつくる
幾多の苦難に直面しながらも、藝術喫茶 清水温泉はたくさんの方に育てられ、多度津町のランドマークとして成長した。多度津町を中心とした観光による経済循環が生まれるよう、別の空き家を活用したアートギャラリー「おのみち屋」や、観光客の集まるこんぴら参道沿にショップ&カフェ「ご利益や」も開き、地域の方に支えられながらここまでやってきた。
現在、多度津町本通は「重要伝統的建造物群保存地区」選定に向け走り出している。しかし、単に建屋を補修するだけだけでは、延命措置にしかならない。次の世代がこの地で生業を得て暮らしていけるような、観光事業と地域おこし、そして未来への希望と安心感をもたらす必要がある。
私たちが目指していること。それは、この多度津町をもう一度活気あふれる姿に戻し、この地域ならではの魅力を活かした新しい姿へと進化させていくこと。まずはここ藝術喫茶 清水温泉とその周辺事業を、日本一の観光複合施設にすることから。一つひとつのご縁を大切に、次世代へつないでいきたい。